等値線図と彩色

等値線自体が彩色の対象になることは考えられませんが、等値線の性質として、線と線との間の面が生じるため、この面を彩色することは可能です。

その際は、他の地図記号と同様、色相、明度、彩度を用いて、太陽スペクトルを基準に彩色します。但し等値線図は気象、気候を主題とするものが多いことから、他の地図よりもさらにセンシティブに、主題内容からイメージする色を導出しなければなりません。

例えば気温を表現する場合、暖色や寒色を用いるのが適当でしょうし、高温地域は赤色、低温地域は青色を使うとしっくりきます。降水量図であれば、乾いているとイメージされる色、湿っているとイメージされる色を使うとよいでしょう。

ところで地図の彩色を野放図に行ってしまえば、非常にカラフルな地図が出来上がる一方、色覚障碍者が読み取り辛い地図になってしまいます。光のスペクトルは健全な人にははっきりと見えますが、障害者にとっては一部の領域の識別が難しいとされています。

ですから、色相に偏った配色にすると、障害者を蔑ろにしていることになります。解決策としては、色相以外の属性、すなわち明度、彩度を加味した彩色にすることが挙げられます。

また、明度や彩度が高いほど識別し易い傾向にあるので、そのように工夫することも大切です。色盲、色弱の人は男性に多く、全男性の20分の1がそうだとされています。

ですが健常者の多くはその感覚を体験しようともせず、つい配慮の欠いた地図を作成してしまいます。今一度心にとめておきましょう。

印刷と地図

ポルトラノ海図が羊皮紙に手書きされたものであることからも分かるように、12世紀に中国から製紙法を学んだ後も、ヨーロッパではしばらく羊皮紙が使われました。グーテンベルクの印刷術が生まれても地図がその恩恵に与ることはしばらくありませんでした。単なる文字の羅列とは異なり複雑であるため、手書きに頼らざるを得なかったのです。従って地図は16世紀に至るまでずっと高価なものでした。木版印刷や銅板による印刷が始まっても彩色だけは職人に依頼することになり、大量生産は望めませんでした。

地図が出版されなかった理由は他にもあります。大航海時代を経たスペインとポルトガルにとって地図は、国家機密に当たるものでした。自分たちが発見した土地の詳細を外国に知られてはならず、秘密保持のためにも出版許可が下されなかったのです。ただいつまでも両国の高級品であり続けたわけではなく、新興国オランダが海洋国家として覇権し始めると、メルカトルやオルテリウスといった職人が工房を構え、装飾を施した地図が盛んに出版されるようになりました。地図の中身も急速に変容しました。世界地図はもちろんのこと、地域図や都市図などの需要も高まり、多様な地図が出版、販売されるようになったのです。オルテリウスの「地球の舞台」やメルカトルの「アトラス」もこの波に乗って完成しましたし、コンタリニは多円錐図法で投影したものを編み出しました。地図はさらなる進化を見せ、装飾された工芸品から実用的で科学的なものへと変わり始めていたのです。中世以来の宗教観がすぐに消えたわけではないのですが、オランダ、イギリス、フランスの合理哲学の精神がそれまでの地図を書き換える動機を形成したことは確かです。