印刷と地図

ポルトラノ海図が羊皮紙に手書きされたものであることからも分かるように、12世紀に中国から製紙法を学んだ後も、ヨーロッパではしばらく羊皮紙が使われました。グーテンベルクの印刷術が生まれても地図がその恩恵に与ることはしばらくありませんでした。単なる文字の羅列とは異なり複雑であるため、手書きに頼らざるを得なかったのです。従って地図は16世紀に至るまでずっと高価なものでした。木版印刷や銅板による印刷が始まっても彩色だけは職人に依頼することになり、大量生産は望めませんでした。

地図が出版されなかった理由は他にもあります。大航海時代を経たスペインとポルトガルにとって地図は、国家機密に当たるものでした。自分たちが発見した土地の詳細を外国に知られてはならず、秘密保持のためにも出版許可が下されなかったのです。ただいつまでも両国の高級品であり続けたわけではなく、新興国オランダが海洋国家として覇権し始めると、メルカトルやオルテリウスといった職人が工房を構え、装飾を施した地図が盛んに出版されるようになりました。地図の中身も急速に変容しました。世界地図はもちろんのこと、地域図や都市図などの需要も高まり、多様な地図が出版、販売されるようになったのです。オルテリウスの「地球の舞台」やメルカトルの「アトラス」もこの波に乗って完成しましたし、コンタリニは多円錐図法で投影したものを編み出しました。地図はさらなる進化を見せ、装飾された工芸品から実用的で科学的なものへと変わり始めていたのです。中世以来の宗教観がすぐに消えたわけではないのですが、オランダ、イギリス、フランスの合理哲学の精神がそれまでの地図を書き換える動機を形成したことは確かです。